2016.12.25 NEW!!
身体が変わると、人生も変わる
これは、私が施術者として、実現できると確信していることであり、またゴールのないものとして一生のテーマとするところでもあります。

まず、私達はだれしも、人生をより良いものにしよう、または、人生をより良く変えたいと思うものだと思います。
これは当然ですよね(^^)/
では何に対して、『より良い』と感じるか?

それは今自分が置かれている環境に対して、実感することが多いと思います。

例えば、
●家族やパートナー、仲間と信頼しあっていて、一緒にいられることに幸せを感じる
●仕事がとてもやりがいがあって楽しく、充実している
などです。

これは、より良い人生と感じるためには、仕事をする場や家族やパートナー、仲間などの環境(自分以外の何か)が必要であることを意味しており、逆に、自分一人だけでは、『より良い人生』は成り立たないということを表わしているといえると思います。

では、その必要不可欠な『良い環境』とはどうすれば手に入れることができるのでしょうか?

とうよりは、私は「良い環境を手に入れる」という感覚そのものに大きな落とし穴があると思っています。
それは、私たちは多くの場合環境とは『固定されたもの』としてとらえてしまう。ということにあります。

私たちはより良い人生を過ごしたいと思うから、その固定化されたいい環境があってそれを形あるものとして『手に入れよう』としてしまいます。まるでコンビニで商品を買うようにです。

しかし、それは環境というものを固定化したことによって生じた幻を追い求めていることになってしまっている場合が多いのではないかと思います。本当はオアシスは存在しないのに、砂漠でオアシスがあると信じて彷徨い続けることと一緒なのだと思うのです。

例えば、
●もっと自分に合ったいい相手がいるはずだと考え、コロコロと恋人を変える
 → 自分に合ったいい相手という、人を不変の固定したものとしてとらえている
などの例が解りやすいでしょうか。

つまり環境とは、手に取ればずっと自分の手の中に形を変えずそこにあるものといったように私たちは考えがちだということですね。

しかし、環境とは常に変化しているものであり、決まった一つの形を持ち続けるものではありません。

実はこの、①『環境とは固定されたものではなくて流動的なものという認識』と、②『身体が変わる』という二つの要素が、冒頭の『人生が変わる』ということに密接に関係します。

続きは、また次回お話ししたいと思います(^^)/
2016.12.13
焦点と認識
感覚的な要素が強いため説明が難しいのですが、ある筋肉をいかにきちんと緩めるか、緩めきることができるかといった時の重要な要素に『焦点』というものがあります。

施術をしていて、やる手技やる手技なんかしっくりくる(効かせられているという感じ)場合と、なんかしっくりこない(効かせられいる感じがしない)場合との差を感じたことがある方も多いと思います。

この、しっくりこないというものの正体が『焦点が合っていない』ということであることが多いのです。

筋肉が緩むとは脳からの神経伝達の働きを変化させるという、「神経反応」なのですが、この焦点という要素はその反応が促進する重要なポイントになるのです。

例えば、前脛骨筋を押圧した瞬間に、相手の脳が『前脛骨筋を押された』という脳の認識があれば(患者さんが解剖学的な知識で前脛骨筋を知っているかどうかは関係なく、『なんかスネ付近の筋肉をやられいてる!』程度の認識で十分です)より早く確実に、前脛骨筋に弛緩の命令が出ることになります。

このように、身体のしくみとして
『緩むなどの変化とは、患者さんの意識が強くいっている部分(脳が認知している部分)でより促進する』
というものがあるということになります。

さらに、意識がいってなかった状態から相手の意識がそこにいった瞬間や、当該箇所の認識がはっきりと起こる瞬間が解るようになってくるので、自分は『焦点が合った』とか勝手に言っていたりするのですが、確実にこの要素は施術に大きな影響を及ぼします。

慣れてくると、その人にとってここから触ると脳の認識が起こりやすいとか、この触り方だと意識がいきづらく逸らされやすいなどが診たり触ったりで判断できるようになってくるのですが、そう難しく考えなくても、多くの人で意識がいきやすく逆に意識がいきづらいなどの場所が共通して存在しています。

下半身の筋肉で分りやすいところだと、身体の前側の大きな筋肉(大腿四頭筋など)は意識がいきやすく、普段目に見えづらい後面の筋肉(大殿筋など)では意識がいきづらくなります。

したがって施術においては、まず患者さんの意識が濃いところをまずは施術していくのが、緩むという神経反応においても患者さんの実感においても都合がいいわけですね。

そこで、いきなりマニアックに足の指などを施術しても、患者さんは大きな筋肉の意識の強さで、指の意識は相対的に少ないわけですので、緩むなどの神経反応もおこらなくなるのです(効果につながらない)。
※焦点が合わない場所で手技をいくらやっても、変化もしづらければ、相手の実感も起こりづらい。

そういった意味で、施術とはただやればいいわけでなくて、どうすれば相手に自分の身体に意識を向かせるか、自分の身体により興味をもってもらえるかが手技以前に重要なことになります。

これらの話しは、まさしく普段私たちがしている普通の『口での会話』と一緒で、相手の反応をみながら察しながら、こちらの意図をスムーズに伝えるためにはこう話そうとか、相手に理解してもらえるようにあれこれ調整をかけていることと同じです。

整体のお師匠は『施術は身体との会話である』と仰っていましたが、まさにその通りだと思いますね(^^)/
2016.12.2
量から質へ
最近、高齢のあるお客様から
『もう私も歳だから、色々固まってきて、見た目がかっこ悪くなったり動かなくなってきてもしょうがないですよね』
というお話しをいただきました。

世の中では、歳を重ねる=できることが少なくなる。
もっといえば、若い時輝いていたものが萎んでいってしまうという悲壮感としてとらえられているような気がします。悲壮感までいかなくともどこかあきらめというか、そういうものだと思ってしまっている傾向が強いと思います。

しかし、私は年齢を重ねるということは今まで、力任せ、エネルギー任せになっていた無駄の多い動き(量)が、洗練された無駄がない動き(質)に変わるだけであり、それは決してできることが少なくなっていくような、世界が狭くなるようなことではない。ととらえています。

お客様にも、
『そんなことは決してありませんよ。姿勢などの見た目に関しても、中身(健康)の問題にしても、もうよくならないということは決してありません。悪くなってしまっている原因は確かにありますが、それは年齢のせいではありませんよ。施術でその原因を取り除くこと、そしてご自身でも希望を持って、年齢ではなく身体を悪くしてしまっている原因に焦点を当ててそれを改善させるように気をつけることをすれば必ず良くなりますよ。』とお伝えしました。

人の身体の潜在能力とは科学で簡単に数値化できるほと簡単なものではないので、筋肉にしても70代であっても80代であっても機能を改善させることは十分に可能です。それに伴う見た目の改善も同様です。


年齢を重ねる=収縮して萎んでしまう。

のではなく、

年齢を重ねる=拡大して世界はもっと広がっていく。
  『量(から) → 質(へ)』変化したにすぎない。


人の身体も、人生も、そう思っています(^^)/
2016.11.21
トップダウンとボトムアップ
通常、施術は大きくトップダウンの考え方・やり方とボトムアップの考え方・やり方に分かれると思います。

トップダウンとは、施術者が相手の身体を思いのままに変えようとするような意味合いとなり、ボトムアップとは相手の身体の状態・タイプに合わせて相手が理解できるように、また相手と協力して効果を積み上げていくといった意味合いとなります。

どちらが良くてどちらが悪いという話ではないのですが、整体セラピストを目指す方のほんんどは、すごい技術を身に付けて、たくさんのお客さんを驚かせ感動させたい!!と望んでいることを考えると、自分がとにかくレベルアップすること、自分自身の向上の欲求が強くなりがちなのだと思います。
そうすると、どちらかとえいば、トップダウン的な考えになりやすいのだ思います。

もちろん、自分自身の向上に貪欲になることは素晴らしいことでありますし何も問題はないのですが、トップダウンの感覚だけだとうまくいかなくなることもあるかもしれません。

トップダウンとは見方を変えると「一方的」「上の者から下の者へ」という感覚ですので、お客さんと信頼関係をつくるまえに、相手の状態や事情も考えず、ある手技を「これが正しい」と押し通そうとしても効果に繋がらない。などのようになり得るものだと思います。

整体とは相手の身体を変化させて『定着』させていくことが目的ですが、通常人は「一方的」を嫌います。それは身体も心もです。

いくら身体のある部位に対して施術者が構造的にこっちの状態が正しいのだから「こうあれ!!」と強制するような施術をしても、それは相手にとっては「おしつけ」であり、それを受け入れようとはしてくれません。
仮に一次的にその施術、変化を受け入れても、ある期間を経過すると戻ってしまうなどになりやすいものだと思います。

逆にボトムアップの考え、施術はどういうものでしょうか。

ボトムアップとはお客さんの状態をまず第一に考え、段階的にお客さんが理解できるように導くというものです。
施術は、一方的に変化させこれが正しい!と強制する感覚ではなくて、常に相手の反応を察し、「こっちの方がいいな」と相手が感じてもらえるように、また自分の身体の変化を自分が選んだ結果手に入れたというような感覚を重要視する施術になります。
こちらの特徴は、必ず段階的に相手の理解・納得が入っているので、強制感や押し付け感を感じることはなく、自分が望んで決めているという感覚になりやすいので、効果もトップダウンの施術より、もちやすく定着しやすいという特徴があります。

こう書いていくとボトムアップが素晴らしくてトップダウンが悪者のように感じるかもしれませんが、子供を育てるときに、時には一方的に「叱って教育する」ということが必要になることと一緒で、時には相手に「こちらが正しい」「こちらにしなさい!」という感覚のトップダウンの施術も必要なります。

ただ、お客さんの身体を確実に変化させ定着までを目的とするとなると、やはり通常はボトムアップの施術を主体とする方がいいと思います(時にトップダウンを混ぜる)。

強制ではなく、お客さんが望んで変わる。「変える」ではなく「変わる」ことを目指して、二人三脚でお客さんを導いていくという感じですね。
2016.11.8
歪みの原因は筋肉?
前回の続きであります、骨格の歪みの原因についてですが、
その前に『骨格』についてのお話しです(^^)/


人間の骨の配置=骨格は『偶然に作られたものなのか?神様が本当にいて神様が作ったのではないか』と一部の学者にさえ言われてしまうほど、理にかなった本当に精巧な作りになっています。
骨1個1個にすべて意味と役割があり、その配置にも理由があります。

それが歪み、崩れてしまうということは、当然見た目の崩れにも繋がりますが、さらに恐ろしいことは、それが見た目だけの問題ではなく、内部(内臓)の状態にも影響してしまうということです。つまり健康を脅かすということです。

骨格の役割は姿勢を作ったり、身体を動かすためにあるということは解りやすいですが、もう一つ内臓の保護という重要な役割があります(肋骨が肺や心臓を守り、骨盤が腸や生殖器を守っているように)。私たちは手足がなくなっても生きていけますが、骨盤や胸郭がなくなったら生きてはいけません。

このように外側(骨格)と内側(内臓)はお互いに密接に関係しあっていて、外側の影響は内側に現れますし、内側の影響は外側に必ず現れます。

これは、何か柔らかい包装で包まれた食べ物と同じですね。

包装が歪めば中に入っている食べ物の形は崩れますし、中の食べ物の形が崩れればそれに合わせて外側の包装の形も崩れてしまいます。

外側の包装は人間でいえば骨(格)になるので硬いから影響しないのではないかと思われるかもしれませんが、先ほどの食べ物と同じで、必ず外と内相互に影響し合います。
つまり骨は、硬くて形を変えないというものではなく、たわむような『しなり』があり柔らかいものだという捉え方が重要になります。

そしてこの硬そうな骨をしならせるだけの力を持つものが『筋肉』になります。

筋肉の主な仕事は縮むことにあります。通常は縮むという仕事を終えれば縮む働きを止めて、元の状態に戻るのですが、身体のバランスが崩れたり何か身体に不具合が生じると、人はどこかの筋肉を縮め「力み」続けることでバランスをとろうとします。
その結果として骨をたわませるように引っ張り、骨格の歪みを引き起こすのです。

そもそもの身体のバランスの崩れはなぜ生じてしまうかというと、身体の使い方の悪いクセや悪い食事の習慣です。怪我や病気または何かのきっかけで偏った思い込みが生じた結果間違った身体の使い方をしてしまう。また、添加物や保存料が多く含まれた悪い食事です。胃や腸も平滑筋という筋肉でできているので、何か悪い食べ物が入ってきた場合は、先ほどの「力み」と一緒で平滑筋を緊張で固めてしまうのです。

このように必ず人の歪みにおいて『筋肉』が大きく関わっており、そういった理由で『歪みの原因は筋肉にある』という表現もけして大げさではないと思っています。
2016.10.19
なぜ小顔になるのか
小顔・美顔矯正についてもう少し詳しく書こうと思います。

当院の施術は『歪みを正すことで小顔・美顔にしていく』というものです。

では、なぜ歪みを正すと小顔になるのでしょうか?

それは、骨格が歪む場合は基本的に、外に膨らみ、外にはみ出すように動くからです。

例えば、脚の歪みであるO脚は、外に膨らむようにはみ出しますし、骨盤が歪むと外に膨らむように張り出します(主に股関節周辺)。

顔も同様で、顔に歪みがあると外に張り出すように膨らみます。つまり大きく見えるわけです。

したがって歪みを整えることにより小顔効果を得ることができるのです。

つまり、歪みがない状態というのは、その人にとって最小の形になるというわけです(^^)/

ちょうど、キレイにピースが組み合わさったジグソーパズルのようなものです。合わないピースをはめようとすると外にはみ出すのと似ていますかね(^^)/

では次に、『骨格の歪みを整える』とはどういうことなのか。前回のブログで『骨格の歪みの原因は筋肉にある』というようなことを書きましたが、そのあたりのお話を次回にもう少し詳しくしようかと思います(^^)/
2016.10.6
矯正は根拠がない??
先日、ニュースで(小顔)矯正は根拠がないというような内容が出ていました。

小顔矯正に関わらず、O脚矯正や骨盤矯正など歪みを正すこと、整体そのものに対し、2017年にもなろう近代においても、まだまだ「根拠がない」と一蹴されてしまうことが多いような気がします。


その理由は、やはり西洋医学的な考え方として、歪んだものがもとに戻るという概念がない(もしくは弱い)ということが大きなものと考えられます。
歪みというものが可逆ではなく不可逆なものという認識が強いということですね。

しかし実際には、歪むということは骨の形が変わるとか、もう歪んでしまったら元に戻らないというものではなく、施術により歪みが正されたり、見た目が元の正しい状態にもどったりしていくことが可能であるものです。
これは現場に携わるものとして、自信を持っていえることです。

もちろん歪んだ状態で身体を使い続けた結果として骨の変形、組織変成が生じることはありますが、歪む=治らない という単純な方程式にはなりません。

また、歪みの原因にも西洋医学と考え方の違いがあるように思います。西洋医学では学校で歪み=骨の変形と教わることが多いため、例えばO脚という歪みも大腿骨や脛骨の変形とみなされ、治ることはないとされやすいのではないかと思います。

しかし、整体など東洋医学では、『歪みの原因は筋肉である』と考えることが多いのです(もちろん筋肉だけではありませんが)。

骨にはたくさんの筋肉がついており、それら筋肉が緊張し縮むことにより骨格が引っ張られバランスがくずれ見た目の歪みや愁訴へと繋がると考えているのです。

実際に整体では筋肉へのアプローチが主体であり、筋肉への施術をすることで現実に見た目が大きく変わったり、愁訴をなくしたりすることが可能です。

このように、整体という手技療法で可能となることは、本来はとても幅広いもので、見た目の変化を出す、愁訴をなくすということにおいても凄く効果が高いものなのです。

こういった認識をもっと世に広めていきたいですね(^^)/
2016.9.23
とてもありがたことなのですが、最近患者さんから別の患者さんをご紹介いただく機会が多いです。

その中で、患者さんから言われて自分自身とても嬉しかったことが
『先生は手から、私をどうにかしてよくしたいという思いが凄く伝わってくる』
という言葉です。
『だから、私は先生にすべて任せて通院しているし、他の友達や知り合いも自信を持って紹介できるんです』と言ってもらいました。

これほど施術家冥利につきる言葉はないと思っています。
私達施術家は経験値を積んでいく過程で人の仕組みを知れば知るほど、当初の熱い思い、『患者さんのために』という信念が薄れていきやすいと思っています。

確かに整体という仕事をしていく中で、人間のしくみの神秘さ、奥深さ、興味深さは他のどんなものよりも人を惹きつけるということはとても理解できるのですが、それら仕組みを知ることは、あくまで『手段』であり、目的は『患者さんのために』ということに変わりはありません。

それら人間の仕組み・原理を解明し技術力を上げることは、あくまで『患者さんのために』必要なことであって、治せる自分、知っている自分になることが目的ではないと思っています。
それはただ「自分が満たされればいい」という自己満足でしかないと思います。

また、同じようなことですが、患者さんがこちらがやりたいことを解ってくれないという考えもこちら本位の考えでしかないと思います。
そういった場合もやはりこちらの『患者さんのために』という思いが薄れてしまっている状況かもしれません。

人は理屈や効率で動いたり決断すると思われがちですが、多くは感情や感覚で動いたり、決断しています。つまり心が動くかどうかということです。
もし手から、言葉から、患者さんのためにという思いが伝われば必ず患者さんはその先生を選んでくれるはずです。

そういった思いや熱意はいわゆる「念」と呼ばれるものと一緒であり、その念が患者さんに伝わり、施術者の意に沿おうと強烈な自己治癒が働くのです。

つまり機械的なテクニックで治っているわけではなく、施術者の強烈な思いによって患者さんは揺り動かされ自分自身で治ろうという力が発動しているということなんですね。

これが治る・良くなるということの、テクニック以前の基本原理なのですが、そこを誤ってしまうと、ただの自己満足の世界に陶酔する施術家人生になってしまうと思います。

一施術家として、これからも一番大事なことは決してブレずにやっていこうと思います(^^)
2016.9.10
効く、効かないのはなし
今日のお話しは『手技の効果』に関してです。

手技はとにかく種類が豊富にあればあるほどいい。そして患者さんに手技を施し、効かないと感じたらまた別の手技を求めて、各種セミナー、勉強会に参加する。といった考え方が一般的なのだと思います。

これは効果のあるなしを手技そのものに原因があると考えてしまっているからなのですが、実は手技の効果の有無は、それほど単純なもので決まるわけではありません。

手技の効果とは相手との関係性や駆け引きによって成立するものであるからです。

格闘技でいえば、どれだけ破壊力を持ったパンチを持っていても、それが相手に当たらなければ意味がなく、そのパンチを当てるためにジャブやフェイントを使って工夫するのと似ています。

手技も同様で、どんなタイミングや状況でも、どんな相手でも、手技をやれば必ず決まった効果が出るわけではありません。

相手との信頼関係の問題から始まり、手技を行うタイミング、順番、それだけではなくこちら側の身体訓練度、精神状態など様々な要素からその効果の程度が決まります。

だから、同じ手技を行ったのに、Aさんにはすごく効いたけど、Bさんにはまるで効かせられている気がしないなどの現象が起こるわけですね。

このように、私達施術家は、ある手技を患者さんに施して効いたとして、それによって自分はもうその手技はできているとしてしまうことは、実は大変危険なのです。

しかしそれだけ手技の効果とは複雑なものではありますが、逆を言えば終わりがない楽しさ。いつまでも追及できる楽しさは施術家の醍醐味であるともいえると思います。

そう簡単ではないからおもしろい。

これから施術家を目指す方にはぜひそう言った気持ちで楽しんでもらいたいと思います(^^)/
2016.8.30
最適な行動をとる
整体という仕事に限らずですが、うまくいく、結果を出すためには『最適な行動をとる』ということが必須だと思います。これは効率や要領がいいということとは違います。

目的に向かって、ベストな手段(思考・行動)を100パーセントの力でとることができるという意味になります。

以前もブログでも『思考』と『行動』で自分や環境を変えることができる。というようなことを書きましたが、その行動も『最適なもの』であることが重要です。

学生時代の頃、勉強ができるできないということに対して、能力の差は多くの場合問題ではなく、最適な行動をとっていたかいなかったかがその差となっていたと感じます。

勉強ができた生徒というのは、なぜそれをやるのか(目的)を常に念頭において、そのためには今何をするべきなのか(手段)を明確にもっていることが多いと感じます。

逆にあまり勉強ができないという場合、それは目的か手段どちらかがズレてしまっていたと考えられます。
例えば「きれいにノートをとることに一生懸命になる」「教科書の最初から暗記する」などです。きれにノートをとるというのは目的がズレた例で、教科書を最初から暗記は手段がズレた例ですね。

人は誰しも、結果が出る出ないを「環境」や「運」のせいにしがちなのかもしれませんが、これは自分を守るための防衛本能なのである意味しかたがないことなのかもしれません。

しかし、もし「環境や運のせいではない」というベストな思考をし、そして目的も明確にして最適な行動ができたならば、、、、、ほとんどのことがうまくいくと思っています。

大げさでもなく、理想論でもなく、①目的がブレずに、②手段(思考・行動)が最適で、そして③あきらめずに続けることができれば、必ず『報われる』と思っています。

したがってこういった意味で、『努力は報われる』は本当のことだと思います。

私自身も、目的や手段が絶対ブレないというわけではなく、時にはブレそうになることもあったりはしますが、そういう時には仲間が必ず助けてくれるので、そういった意味で目的や手段がブレるこはありません。
仲間が、「こっちが正しい道だよ」と誘導してくれるわけですね。

当社の理念も「仲間を大切に!!」ですが、仲間を大切にすることが同時に自分自身も救ってくれるのだと感じます(^^)
2016.8.17
「もうすでにできている」という感覚
整体で押圧をするときに、相手の反発(緊張)が生じてしまって、中々深部に効かすことができない。といった場合があります。

これは実は、技術というよりも「感覚」を変えるだけでうまくいくケースが多いです。

通常ですと、そういう場合、より強い力でより奥に入れてやろうと力んでしまうものですが、その感覚自体を変える。

つまり、「もう深部に入っちゃった」という感覚(もうすでに自分は深部に入れていると信じる感覚)で触ると意外に深部にすんなり入ってしまうことができたりします。

「やろう」と思えば遠ざかり、「もうすでにできている」と思えば、結果できている。

意味がわかりづらいですね(笑)

この前、ある本を借りたのですが、少し解りやすく同じようなことが書かれていました(^^)

「こうありたいと願う」こと自体は悪いことではないが、願ってばかりだと永久に手に入らない。
願うということは今現在それが手に入っていないという自分を無意識に認めてしまっている。そうすると今できていない自分の波動・オーラが出ているから、余計願いから遠ざかってしまう。だからもうすでに願いがかなっていると信じることで、願いを叶えている自分の波動が出るようになり、結果願いが叶う」と。

禅問答みたいですが(笑)、これは「真理」だと思います。

波動というと怪しく思うかもしれませんが、「良いことを思えば良いことが起き、悪いことを思えば悪いことが起きる。」・「自分の思考が現実を作っている」などという言葉のように、人の身体はミクロの世界で原子や分子・素粒子などといった粒粒で表されるわけですが、それらは人によっても、または骨や筋肉など組織ごとにおいてもその振動数が異なり、それぞれ独自のリズムで振動し外に波動として発しています。

そしてその振動数やリズムは「思考」で変化するということが科学的に明らかになりつつあります。
「なりたい人がいるのならば、その人と一緒にいるだけでよい」・「近くにいる人に思考も姿も似てくる」といわれるのは、そばにいる人の思考がもう一人の原子や分子などに作用しその振動数を変化させていると考えられています。

また自分の思考も当然自分の身体に影響を与えますので、例えば「余命3ヶ月」と診断されたがために「本当に3ヵ月で死んでしまう」といった話も聞いたことがあると思います。もう3ヵ月しかもたないという思い込みがその患部の振動数を狂わせ、結果物質的にも悪い変化が生じてしまうということなのかもしれませんね。

先ほどの整体の話しに戻りますが、「深部に入ろう入ろう」と思えば思うほど「深部に入れていない自分を自覚する」ことになり、その波動・振動数では効かすことができないことになります。

逆に「もう深部に入れている」と信じることで、そのできていると信じる思考によってつくられた波動・振動数で結果効かすことができてしまう。

人間の思考ってすごいですね(^^)

こういった人間の力は量子物理学などで、徐々に科学的にもその力が明らかになってきているので、いづれそういった目に見えない力も解明されるかもしれませんね!
2016.8.3
ミラーニューロン
『ミラーニューロン』とは、神経細胞の一つで、「モノマネ細胞」ともよばれています。

ごく最近の1996年にイタリアの大学で、サルの実験のもと発見された神経細胞であり、行動者と観察者の両方で、脳の神経細胞が同様に活動するというものです。

その実験では、人(行動者)が例えば何か物をとろうとするときに脳のある神経細胞が活動したとして、それを見ていただけのサル(観察者)も同様に同じ脳の反応を示したというものです。

つまり、他者の行動を無意識に真似しようと反応する細胞があるということなのですが、これはとても興味深く面白いもので、整体の分野でも深い関係があると考えられます。

先ほどのサルの実験のように、「人の行動を真似しようとする」とするこのミラーニューロンは、最近の研究で、行動だけでなく「強い意志やイメージ」に、より強く反応すると考えられています(もちろんまだ未知の部分が多いのですが)。

例えば、整体のおいて施術者が患者さんの身体に対して、強烈に良くなった姿、改善した姿などのイメージを持って施術すると、その意志に患者さんのミラーニューロンが反応して、無意識に施術者の意志に沿おうと脳や身体が反応するということになります。
つまり、施術者の意志の通りになろう(真似しよう)と反応しやすいということですね。

よく絶対的な自信を持っていて、患者さんに強いプラス(ポジティブ)のイメージを与えられることができる施術者の施術は、なぜか効果が出やすいと言われますが、このミラーニューロンによる効果もあるのかもしれません。

逆に、もし強いマイナスのイメージで患者さんと接してしまった場合、そのイメージを患者さんが真似し、実際に身体に悪影響を及ぼしかねないということになります。

もちろん、身体の歪みを改善させたり治したりするのは、こういった効果だけで行うものではありませんが、そういった神経細胞が実際に存在する以上、施術者は、たとえ経験が浅いものであろうとも、「自信を持って施術をする。そして、患者さんが、悩みが改善したプラスの未来を強く想像できるようなコミュニケーション、施術をする」というのは、患者さんを改善させるための最低限の礼儀といえるのだと思います。

また、少し話は変わりますが、社会生活において、「類は友を呼ぶ」という言葉があるように、似たもの同士が集まりやすいとよくいわれます。
もちろんそういった似た感覚のものが引き合いやすいということもあると思いますが、強い信念や行動力がある人が周りの人を変えている(周りの人が無意識にその人の言動を真似している)ということもあるのだと思います。
結果、似たもの同士が集まっているように見えるということですね。

このミラーニューロンのように、今まで説明ができなかった、目に見えない人間の力というものが、これから少しずつ明かされていくのかもしれませんね(^^)/
2016.7.21
環境と行動 ~つづき~
前回お話しした内容をまとめると、

『人間は(特に現代においては)、行動しなければ生きていけないというような状況が減少し、思考する時間的余裕が増えた背景のもと、自分の「頭の中の世界」を構築しやすく、自分独自の強固な思考やこだわりにより、外部環境に適応しづらくなってきている。

しかし、本当の意味での個性や自分の力というものを最大限発揮したければ、今現在の環境にまず適応することが重要である。
環境に適応するということは、自分の足場を作る行為であり、土台を作ることを意味し、それは生きる上での最低限の「安心」・「安全」を手に入れるということで、人は「安心」や「安全」という環境のもとではじめて、自分の力を最大限発揮することができる。』

という内容でしたが、
実はこれが身体を良くすること、健康とも密接に関係します。

今現在の環境に適応できず(または適応しようとせず)、自分の思考・こだわりを優先させて、環境の変化を求めるということは、身体を動かす際も、自分のこだわりやクセを優先させ動かすということです。(自分のこだわりを外部に押し付けるということ。多くの場合は無意識下で生じる。)

例えば、ある傾いた地面に足部を接地させるときに、本当はその斜面に合わせて柔軟に足部の形を変えて着けば脚は歪まないのです(環境の変化に適応している状態)。

しかし、地面が斜めになっているにも関わらず、まっすぐつかなければというこだわりを持って緊張で固めて接してしまったら当然、その足部は地面となじまず衝突してしまうわけで、それを繰り返すことで足は歪んでしまうわけです(環境の変化に適応できない状態)。

少し大げさな例として上げていますが、これが歪みの発生の根本的な仕組みとなります。

つまり、外界の都度変わる環境に適応できず、頭の中で構築した世界の元、自分のこだわり、ルールの中で身体を動かすから歪む。ということですね。

これが逆に、「環境に適応できる」といった場合は、自分の思考やこだわりで身体を動かすのではなく、都度変わるその場の環境にベストの身体の動きを取ることができるということになります。

実はそう身体を使っている限りは、人間の身体はそうそう歪まないようにできているのです。

これはいわば身体のセンサーが最大限に生かされている状態ということであり(身体の感覚が正常である状態)、頭であれこれ考えて身体を動かすのでなく、身体のセンサーがまず外部環境の変化を察知し、「考える前に動く」という状態をとることができる身体・状態と言い換えることもできるかと思います。

これは、まさしく動物に近い働きともいえると思いますが、これらの働きを強めることが重要であるというのは、思考(理性)が必要ない。ということではありません。現代では思考の方の働きが過剰に強まり、身体の正常な働きの方が弱まりやすく、結果として身体の歪みや痛みに苦しむ人が多いからなのです。

当然思考(理性)も必要です。

しかしその思考も、「行動するための思考」であり、行動なき思考は意味がなく、先ほど述べた身体を病ませてしまう行為となります。

整体は、一般的には身体をただの物質としてとらえ、身体の歪みを正すという見た目だけの変化であると思われがちだと思います。

しかし、これまで述べたように、身体を整えるということは、ただ物質として歪みがとれるということだけでなく、身体が整ったことで、

「都度変わる環境に合った理想的な行動がとれるようになる」→「成果をだす、成功する確率が上がる」→ 「成功体験を積むことで思考が変わり、より成果を上げられる思考ができる」というような、『人生がよりよい方向へ変化するような効果』までもを期待できる、素晴らしい療法であると思っています(^^)
2016.7.12
環境と行動
環境と行動というと難しそうなテーマですが(笑)、よりよい人生を生きるための方法と身体を良くする方法(整体)とは互いにリンクしていると感じています。
そしてそこの話をする前に「環境」と「行動」についての考え方が重要だと思っているので、今日はそのお話しをしたいと思います。

まず「環境」についてですが、
人は誰しも(とくに物事がうまくいっていない場合など)、まず「環境に適応しよう」とするよりも「自分の頭で描いた理想の環境を求める」となりがちなのだと思います。(特にこの100年でそうなる傾向が強くなってきているといわれています。)

これはおそらく「個性」の誤解が生じていることが大きな要因の一つだと思っていますが、「環境に適応する」ということが受動的な、個性がないと現代の人が捉えがちということなのです。

だから、環境に適応する前に、自分のこだわりや自分ならではの思考というのを主張し、環境の方を変えようと尽力するのです。

しかし、本当の「個性」とは、その人がそこに存在することがすでに十分な個性なので、主張をすることに意味はないのですね。

そして、適応するということは受動的ということではないということも、動物を例にすると解りやすいと思います。

動物は生き抜くために、まずは必ず「環境に適応する」ことで、安心という土台を作ります。(地に足を着けるということ)
動物はその土台があって初めて生き抜くために、思う存分狩りができるのです。(理想的な行動ができる)
これがもし環境に適応していなかったら、狩りどころではなく、常に不安定な足場のもと生活することになります。この状態では精度の高い狩りが当然できなくなります。(理想的な行動ができない)

人間も同様で、環境に適応することは、流されていて個性や力が発揮できないということではなく、まったく逆で、環境に適応できているからこそ、安心という足場の上に自分の力が最大限に発揮できるのだと思います。(理想的な行動がとれる。自分の居場所を作れているということ。)

転職も解りやすい例で、この100年で転職者が何倍も増えていると言われますが、転職先で成功する確率は数パーセントととも言われます。
しかし、これは転職そのものが、ほとんどうまくいかないということではないと思います。
これは厳密には、前職で環境に適応できなかった人、そして転職先の職場においてもその環境に適応できなかった人のパーセンテージなのではないでしょうか。

おそらく転職がうまくいく人というのは前職で環境に適応していた人、または次の職場で前職の経験を生かし、次こそはまずは環境に適応しようとした人なのではないかと思います。

前職で環境に適応できず、他に自分が理想とする環境があると夢見て転職し、次の職場でも環境に適応しようとしない転職と、前職の環境に十分に適応した上で、さらに自分の力を発揮できる環境を現実的に選んだ転職との違いということですね。

この二つは似ているようですが、まったく別物だと思います。

人は環境に生かされた生き物だと思います。

動物も今ある環境にまずは適応し、その次の段階で、より理想的な環境を求め自分の姿や行動を変え進化してきたのです。

そしてこれらのことは、実は、身体の歪みをとる、整えること(整体)に関しても密接な関係があります。

次回そのお話しをしたいと思います(^^)
2016.6.27
整体と導き
整体とは、患者さんの身体を今よりいい方向へ「導く」仕事です。

患者さんは、自分の身体に対して何らかの悩みがあるから来院します。そしてそれは自分ひとりでは解決できないから先生にお願いしようと来院するのです。

ということは私たち施術家は、学校の先生と同じで教育する立場、導く立場にいるということになります。

では、導く側とってまず第一歩目に行うべき絶対必要なこととはなんでしょうか?

それは間違いなく、『相手を認めること』だと思います。

決して『評価』することではありません。

人は評価された瞬間、または評価されるような目で見られた瞬間、相手に嫌悪感を感じます。それが減点評価でなく、加点評価だったとしてもです。
なぜかというと評価という行為には「愛情」がないからです。
人は誰でも、家族や恋人に限らず、愛情を持って接してもらいたいと思うものです。

愛情を持つということは、相手の長所、短所、得意とすること、不得意とすること全部ひっくるめて「相手を認めている」状態と言い換えることができます。

人を導く過程では、すべてここがスタートになると思っています。

整体の現場でも、初対面で、相手の身体の良いところと悪いところを評価し、的確な施術をしたとしても、そこに相手への愛情やその人自身を認める気持ちがなければ、信頼関係は生まれず、施術効果も十分に得られません。

まずはその人の存在を認め、全力で向き合っていこうというところからスタートするものだと思います。

患者さんも本能で、この先生は無条件に私を認めてくれる先生なのかを見ています。まず愛情をかけて向き合ってくれる先生なのかを見てるということです。

特に、整体院に来院される方というのは、自分の見た目にコンプレックスを強く持っていたり、痛みに苦しんでいたりして、「自分自身の身体を認めていない・嫌いな状態」なのです。

その状態にいる患者さんを施術者がまず、「愛情を持って認める」というのはそれがもう治療の立派な一つになり得るのです。

基本的にどんな歪みや痛みにしても、それを改善させるためには、その人自身に自分の身体を好きになってもらう必要があります。つまり自分自身の身体を認め、自分の身体にプラスイメージを持つところからしか身体の改善が始まらないということです。

これから整体の道へ進む方には、以上のように、整体とはただ勉強し知識を増やし、手技を覚えればいいというわけではなく、人と人との繋がりそのものということをイメージしてもらえたなら幸いです(^^)
2016.6.12
夜死んで、朝生まれ変わる。
施術で、今のバランスが大きく変わるような変化が出た場合に、何か子供の頃に戻ったような、脳が何も考えられないような、または純真無垢になったような気持ち・状態になることがあります。

これは、一言でいえば「リセット・切り替わり(あくまで、ある段階においての)」ということになりますが、どんなに屈強・無敵に見える人であっても、人は必ず過去にトラウマを持っています。
※トラウマというと大げさかもしれませんが、それは大きなもの(虐待、重度な病気、大きな挫折感など)から、比較的小さなもの(軽度なけが、失恋など)までを含みます。

実は、このトラウマというのが人の心だけでなく、身体そのものに現れる歪みや痛みの大きな原因となります。

それは過去の経験というのが必ず脳に記憶されてしまうからなのですが、多くの人は、日常のふとしたタイミングでその記憶を呼び戻してしまうのです。
脳は記憶を完全に消すことはありませんので、過去を思い出すこと自体は自然なことですが、それを「身体で再現してしまう」ことに大きな問題があります。

例えば、昔肺炎をした人間であれば、もうとっくに組織そのものは治癒しているにも関わらず、ふと深い呼吸をしようとしたときに過去に呼吸で苦しんだ恐怖心から無意識に制限をかけてしまうなどです(呼吸を抑制させるという働きを再現してしまう)。
当然そのような状態が何年も続けば、肺そのものの機能は低下し、それがいずれ胸郭の下垂・猫背などの見た目の異常・歪みに繋がることになります。

このように、見た目の歪みというのは、単純に外的に何か歪む力が加わったからという理由でない場合の方が多いと考えられます。

対して、健康で見た目の歪みも少ない人というのは、この過去のトラウマをきれいに清算できる人と言い換えることができます。

先ほどの例とは逆に、あるタイミングできれいに過去と決別できる。そういったサイクルを持っている人といえますが、ではその理想的なタイミングとはどこにあるのでしょうか?

答えは「一日の終わり」なのです。

仮にどんなにその日嫌なこと(これもトラウマの一種である)があっても、その日の夜に一度リセットすることができるということです。
ですから次の日はまた一から新たな自分で臨むことができます。

このようなことを師匠は「夜死んで、朝生まれ変わる」というすごい表現をしていました(^^)
そして「多くの人は時間軸を過去と繋げてしまっているが、それを断ち切ってあげることが、身体を良くすることに繋がる」ともおっしゃていました。

この言葉は自分の中でもすごく響いた言葉です。

時間軸を断ち切れる身体にしてあげること。そうすると、過去のトラウマを今の身体で表現しなくなる。それが歪みや痛みの治癒に直結するということですね。
これは身体の美容や健康に限った話しでなく、人生そのものの質を左右する内容ではないかと思います。

仮に、今までの人生で何一つうまくいったことがない人がいるとします。その人は過去の失敗に縛られ、また明日も失敗するだろうと時間軸をつなげて考えてしまいます。すると当然明日もまた失敗します。
もしそれが、きれいに時間軸を断ち切ることができたなら、その人は明日は成功するかもと考えられるということです。そして過去に縛られていないまっさらな思考で一から臨めるということは、現実に成功できる可能性が格段に上がるということになります。

こんな素晴らしいことはないと思います。

もちろん、大小様々なトラウマを抱え込んだ身体を一度のリセットで消し去ることは難しいですが、そのリセットを繰り返していくと段々、表面のトラウマから奥底に隠れたトラウマが顔を出してくるはずで、そしていずれは、そのトラウマがきれいに清算できれば、理想的な「夜死んで、朝生まれ変わる」という一日で過去と清算できる身体になると考えられます。

師匠や、本物といわれるような施術家がそこまでを見据えた施術をしているのだと改めて感じ感動しました。

自分もそこまでを見据えて施術することができる施術家を目指してやっていきたいと思います!!
2016.6.1
6月!
もう6月!
今年も、早くも半分が終わろうとしています。

本当に時間が過ぎるのは早いですね。
皆さんは、今年掲げた目標や課題は順調に進んでいるでしょうか(^-^)

自分がこの数年掲げている目標の一つが、「自分の身体機能・感覚を良くする」でしたが、様々な人の助けを借りながら、順調に達成してきいるような手ごたえを感じています。

身体機能・感覚を向上させるには、自分より優れた感覚の先生に施術を受けるか、もしくは患者さんを施術していく中で患者さんの身体の変化を自身の変化としてフィードバックさせるかの二つが早いと思いますが、自分自身もこの二つを意識し行ってきた結果、効果が出ているのだと思います。

特に今年に入ってからの大きな変化は胸郭でしょうか。

小学生の頃、肺炎に近い病気を経験していることが大きいと思いますが、昔から、呼吸に無意識に抑制をかける癖があったので、かなり胸郭がしぼんでいたのですね。。

※過去に肺炎や気管支炎などを患った経験がある人は、呼吸がしづらい恐怖を味わった経験から、無意識に深い呼吸を避けるようになり、その結果肺の機能が低下し、胸郭もしぼむ傾向にある(当然姿勢も悪く、猫背になる)。
もしくは胸郭周りの筋肉を過度に膨らませ、筋肉の力で呼吸をする場合いもあり、その場合は胸郭は逆に過度に膨らむ。どちらにせよ、自然な呼吸はできていない。

それがようやく下半身の安定から上半身に余裕ができ、やっと胸郭に膨らむ動きが出てきました。

シャツのサイズもワンサイズ上がり、今までのシャツが着れなくなってきましたね。ただ、まだ心臓付近、胸膜の緊張がある分しぼみがあるので、もうワンサイズ上がるところまでいきたいです(^-^)

この変化は自分にとってはとても大きく、呼吸機能が大幅に改善されるということは、全体の身体機能も大幅に上がることを意味するので、今までよりもさらに高度な技術を扱えるということになります。

患者さんを本当に良くする。根本から身体を改善させる。

そのための、自身の身体機能・感覚の向上!

今年も残り半分しっかりやっていきたいと思います!!
2016.5.16
勉強会
先日は、お師匠のところの勉強会に出席してきました(^^)

今回は、出席者が古株の先生達で占める上級者向けというような形での勉強会でした。

自分もお師匠のところで勉強させてもらって早8年ほどになり、大分自分の感覚や手技の精度に対し、ある程度の自信がでてきていたところだったのですが、、、

改めて今回いい意味で、また一から勉強だなと思わせてくれました(^^)

やはり高度な技術を扱うほど、または繊細な部位を対象にするほどその精度が、ミリ単位で重要になってくるわけですね。というよりも一ミリ以下の世界でしょうか。

今回の勉強会の内容の中でも、ちょうど自分が練習したかった「目」に関しての手技があったのですが、それこそ1ミリ以下の精度が必要になります。

「目」はとても繊細で敏感な組織です。
ちょっとしたブレも相手は感知し、その施術を拒否してしまいます。

ただそれだけ全身に及ぼす影響も大きいといえるわけで、自分が練習したかったという理由も、やはり最近、身体の感覚が乏しくて目や脳の緊張が強い人が多いと感じるからです。

身体の左右差などの歪みも、身体の愁訴も、根本は、この身体の感覚の乏しさが背景にあります。

身体の感覚が乏しいということは、間違った(歪むような)動きをしても気づかず繰り返してしまうことで、どんどん悪い癖を身体にしみこませてしまうということです。

これが身体の感覚が正常であれば、ちょっと間違った動きをしてもそれをすぐ間違いだと気づけるので、身体がどんどん歪んでいくようなことは起こりません。

目や脳の緊張は「意識の強さ」と言い換えることもでき、これらが強ければ強いほど、身体の感覚は低下していきます。
身体の歪みが強い人ほど、身体を構造的な事情で動かそうとするのではなく、意識やイメージで身体を動かしてしまいます。

今回の勉強会では、手技のブレをミリ以下の単位で制御していくという訓練を行ったのですが、やはり1時間くらいやっただけでものすごく疲れれてしまったので、まだまだだなと強く感じた次第です(-.-)。

また、ただ目を緩めるといっても、それがただ眼球そのものの、硝子体としての緊張として考えるのか、それとも眼房水などの循環の問題として考えるのかでも手技のやり方、感覚が違ってくるのです。後者の循環としてとらえるときの理想は、眼房水がシュレム管から静脈に流れる時の、入口がもぞもぞと開く感じをもって弛緩したと捉えるということなのですが、やはりレベルが高すぎますね。。。

長くなりましたが、、、、、今回の勉強会は、また基本からしっかりやるぞ!!

といういい機会となりました(^^)/
2016.4.29
左半身の問題
整体の経験を積んでいくと、いずれ「左半身の機能低下をいかに回復させるか」という悩みに皆ぶつかるような気がします。

実は、人間の身体は、左半身より右半身に緊張や見た目の歪みが強く発現しやすくなっています。
(例えば、O脚という歪みをとっても右脚が左脚より歪んで見える人が多い。)

これは右半身が交感神経優位になりやすく、左半身が副交感神経優位になりやすいという問題が根本にあり、そこから動き・機能の左・右の違いが生まれ、最終的に見た目の左右差とし発現してしまうわけですが、ここで注意しなければいけないことは「では、左半身は正常なのか」という問題です。

正解をいうと、右半身は、あくまで「見た目の」歪みとして発現しやすいだけで、見た目上ではあまり歪んでいるように見えない左半身が「正常」というわけではないのです。

左半身の特徴としては、見た目上では歪みとして見えづらいのですが、右半身より「機能の低下」が生じている場合が多く、これも右半身と同様に施術対象となり、改善しなければならない問題となります。

機能の低下とは、「神経の連絡度が弱い」ということです。
身体の動きはすべて脳や脊髄からの神経の伝達で起こっているわけですが、それが身体の隅々まで均等にできているかというと、ほとんどの人ではできていないのです。

例えば、野球選手で右投げのピッチャーであれば、右手の方が左手より訓練されているので、「右手の神経の連絡度が左手より強い」となります。これだけで立派な神経連絡度の「左右差」となるわけですが、このように人の身体は動きや機能の違いやクセが成長過程で蓄積され、結果として「左右の神経連絡度の違い」が生じてしまっているのです。

これは身体を診る上で、非常に落とし穴になりやすい部分であると思っていて、その大きな理由が「見た目では分らない」からなのです。
見た目でもわかる熟練した先生もいますが、ほとんどは触ることでその機能の低下を判断します。
しかもこれは何年も人の身体を触って施術していった経験があってはじめて「触ってわかる」ようになるものなので、非常に落とし穴となりやすい問題だと自分は思っています。

この神経連絡度は、よく言われる「軸」という概念においても注意しなければならない要素となります。

よく「左軸」の人が多い、つまり左側に優先的に荷重を預ける人が多い、と言われますが、荷重を乗せづらくなっている右側だけが悪いと思われがちなのですね。
これも左側に乗れているからといって、乗ることができるだけ、ただのツッパリ棒ではダメなのです。

「ただ乗れる」ことと、「機能する」こととは歴然とした違いがあります。

この左半身の機能低下については、以前ある偉大な先生が、「左側に本当の意味での軸がとれる準備が整うと、左下腿の極端な機能低下として発現する」と言っていたことがあります。

そのタイミングで左下腿の施術をすると、それが左半身全体の機能向上のスイッチとなるわけですね。

やはり人の身体は奥が深いですね(^^)
2016.4.14
覚悟
先日、「しくじり先生」という番組で、ある芸人さんが、「覚悟」について話していた内容がとても共感できるものであり、整体の仕事とも共通することだったのでこちらで紹介したいと思います。(どの仕事でも共通することかもしれません。)

芸人にとって番組で「笑いをとる」ということは整体師が施術をするように、「仕事」そのものになるわけですが、ある時その芸人さんは、番組プロデューサーにこう言われたそうです。

「今度の番組は絶対にこけられない番組だ。君は必ず笑いをとってくれるか?」と。

その時その芸人さんは
「頑張ります!全力を尽くします!!」と答えたそうですが、あとになってその芸人さんは深く反省をしたそうです。

自分は笑いをとることが仕事であり、笑いをとるプロなのだから、「頑張る」のは当たり前だと。そして「全力を尽くす」のも当たり前だと。

番組プロデューサーが確かめたかったのは「頑張れるかどうか」ではなく、「覚悟の強さ」だったのだと気付き、「僕に任せて下さい」という答えが正解だったと反省をしたそうです。

プロデューサーもさすがに、「必ず笑いをとれるか?」と聞きはしても、笑いがとれるかどうかは未来のことであり、誰にも分らないことで「必ず」などないことは承知の上なのです。
その上で、相手の覚悟の量を知りたかったのです。

さらにその芸人さんは、この内容を医者と患者の関係として例を挙げていました。

自分の大切な人が難しい手術をしなければいけなくなったとして、医者と面談をした時に、その医者に手術をお願いするかどうかという段階で、何を決め手にするのかということに似ていると。

「これは難しい手術だ。成功するかどうかはやってみないと分らない。」
「最善をつくします。」

こう言われて、自分の大切な人を預けることができるのかと。

「やってみないと分らない」ことも、「最善をつくす」ことも当たり前のことであり、そういうことでなく、全部ひっくるめた上で「私に任せて下さい」と言えるかどうかということなのです。

もちろん、実際に言葉にするかどうかはまた別としても、そういう「覚悟」を持っているかどうかということが、この先生にお願いしたいと思うかどうかの決め手になるということになります。

以上の内容は整体とまったく同じなのだと思います。

今まで何年もかけて作られた歪みが一時間足らずできれいさっぱりなくなることはあり得ないことと考えられます。

したがって、患者さんは、自分の理想とする身体になるためにこれからかかる時間を、まさしく未来に投資する形で、担当の先生に投資をし身体を預けるのです。

その時に患者さんが知りたいのは「頑張れるかどうか」などでなく、自分を引き受けてくれるかどうかという「覚悟」の量なのです。

そういえば、自分も整体師としてまだ新米のころ、患者さんに
「自分はこの辺の地域の整体院にあちこち実際に行ってみたけど、この地域では一番自分が技術があるし、上手ですよ、安心してください」と言っていました。
(実際にあちこち行きまくりました!)

今思うと、よくもまぁ。。。という(笑)。
しかし、我ながら、どんな状態・症状の患者さんでも引き受ける覚悟があったのだと思います。(もちろん今もありますよ。)

よく、「自信を持て」という言葉を耳にしますが、個人的には結果を出す自信や、治す自信はなくてもいいと思っています。(実際に、未来のことなので絶対という要素はないから、やる前から「100%治せる自信がある」という言葉はおかしいと思います。)
ただし、引き受ける覚悟への自信は絶対必要だと思っています。

患者さんが望む変化がでなくて失望されることもあるかもしれないというリスクなども含め、引き受ける覚悟への自信です。

そして、そういう本気のやりとりをしなければ、とてもではないけれどプロにはなれないし、本物にはなれないと思っています。

未来の整体師へ、まだまだ青二才の自分ですが、経験から絶対に必要だと感じることを今回は書かせてもらいました!

少しでも参考になれば幸いです(^^)